切花の春、時期、花瓶をあらうのこと/はるな
には渇いていないことがわかる。
けれど写真はすこし違うのかな、と感じている。(世界はそもそものはじめから美しく、そしてわたしは世界ではない。)
(そしてあなたも世界ではない。)
だからまた写真や絵について知ろうとしている、花をはじめから学ぶのと同じだけたのしい。
むすめは自分の名前の書き方を覚えた。咲いているように書くからかわいいんだよ。
街で花屋の看板をみつけるたびに嬉しそうに指さすのも愛しい。まるい手で握りしめるように持つえんぴつの角度、いまに直ってしまうだろうな。
光るプラスチック、スパンコールのついてるセーター、毛糸かざりでできたゴム。子どもの選ぶものってかんたんに壊れる、大事にするのだって覚えるまではできないよ。
そうしてそのやり方が正しいかどうかも、いつまでもわからない。物事に良いだけのことも、悪いだけのこともなくて、わたしは四つ目の鉢を腐らせてしまった。水をあげすぎてしまう、いつも、だからきちんと枯れる切花を買ってきては、せかせかと花瓶をあらっているのだ。
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