不毛の海図/こたきひろし
たらあらぬ疑いをかけられるかもしれないと逃げるように早足になってしまった
彼が家に帰ると
いつも通り妻が出迎えてくれた
彼の顔色を見て妻が訊いてきた「どうしたの?」
何でもないと、彼は答えた
食卓にはいつも通り朝食が用意されていた
が彼は
直ぐには箸をつけられなかった
浮かない彼の顔にふたたび妻が訊いてきた「どこかぐわいでも悪いの?」
どこも悪くないと彼は答えた
彼は言ってしまおうかと胸の内で葛藤した
しかし
事実を口にしたら妻は何と言うだろうか
「酷い人ね。あなたがそんな人だなんて思わなかったわ」
と
責められるかもしれなかった
反面、もし
子猫に同情して拾って返ったら
それはそれで怒りを買ってしまうような気がした
結果
彼は何も言わなかった
彼は心の底で
冷酷に捨てられた子猫に対して
「おのが身の運命のなさに泣け」と
松尾芭蕉が旅の途中に出会ってしまった捨て子を
救う事なく
見捨てたというときの
境地に達していた
いつか何処かで
読んだ本を思い起こして
自分の都合のいいように
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