遺書の代わりに/日比津 開
 
詩やエッセイを書く。自分にとってそれがどんな意味があるのか?

かつて詩やエッセイの投稿、コンテストに夢中になっていた時期がある。そして何回かささやかな賞をいただき、それが励みになり、少しでも多くの人に自分の作品を読んでもらいたいと思っていたこともー

亡き母や夭折した娘のことをよく書いた。涙を流す代わりにー ときには恋愛詩を書き、恋人に捧げた。音楽を聴いた感動、歴史散策の感銘をテーマにしたこともある。しかし、それらはすべて破棄した。自分の拙さを思い知ったときに。

いま再び、詩やエッセイを書きはじめている。しかし、それはごく私的なもので作品として発表できるほどのものか?

もしかしたら、残りの人生が尽きる前に遺書として書いているのかも知れない。しかし、そこには悲しみを伝えるものだけではなく、生きた証、感謝、この世のすばらしさを少しでも多く記していきたい。

思い浮かんだことをありのままに書く。それがどんなに幸せなことか?死もその前では恐れとならない。今日、詩やエッセイ ー 遺書にどんなことを書き足していけるか、非常な楽しみにしている。

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