徳川家康の運(歴史の不思議、奇跡)/日比津 開
 
立を得て三河(今の愛知県東部)統一に乗り出し、清洲同盟で信長と結んだことにより遠江、駿河(ともに静岡県)に進出、飛躍していくことになる。亡き義元が家康が天下人、将軍になったと聞いたらどんな思いだろう?『あの元康(家康)が‥』と絶句したに違いない。

 家康の運の良さは、武田信玄との三方ヶ原の戦いにも見られる。信玄に完膚なきまでに敗れた家康だったが、ほどなく信玄が野田城攻略の途中亡くなる。信玄の寿命があと数ヶ月伸びていたら、徳川家は滅亡か武田家の一武将に転落していたであろう。本能寺の変で信長が天下統一の半ばで倒れたこと。これも家康の信じられないほどの運の良さだ。堺見物から命からがら三河に戻り(伊
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