生きてきたこと:Part 2.1/由比良 倖
まうのではないかと、不安でもあった。と言っても、本格的に「あれ? 何が起こったのだろう?」と、折れていたものが急にくっついたような、それまでとの劇的な違いを感じたのは、まだたった十日前のことで、だから、またすぐに鬱の底へ落ちていくことも、十分に考えられるのだけど。でも、大丈夫な気がしてる。ページが捲られ、僕にとって鬱はもう記憶でしか無くなりかけているからだ。
今は、具体的なエピソードを何にも書けないのが残念だ。数年間、僕は部屋から殆ど出ず、内面的な苦しみとの闘いに明け暮れていたから。
夢と共に生きたい。わくわくする心が帰ってきた。書くことによって、さらに心は温まる。やりたいことがいっぱいある。僕は僕の消失を思い出しかけている。鬱やノイローゼは、自分が自分であり過ぎることだ、と一面的には言える。イメージは脳内に溶けていき、僕は人生という、光降る空間を、消費していく。柔らかな、また骨張った指先で、僕は自分が花であることに、全力を捧げることが出来る。僕は、帰ってきたのかもしれない。おかえり、世界。
おかえり、感情。僕は生きていくだろう。
(2019年5月25日)
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