コーヒーの詩学/葉leaf
 
体であり憎しみの液体であり悪意の液体であり裏切りの液体であり傷の液体である。それらの通俗的な悪を美すなわち善に転化するのがコーヒーの役割だ。
 コーヒーは始まりを告げる創造の液体である。一日の始まり、思考の始まり、仕事の始まり、創作の始まり。コーヒーは何かを創り出す根拠として、動機として、エネルギーとして、飛躍として、私のトリガーを引く。コーヒーは光というよりは闇に近く、光と闇の渦巻きに近い。光と闇が渦巻くところであらゆるものは創造されるのだろうし、私は様々なものを創造する。
 私はコーヒーを偏愛する。コーヒーは郷愁の向かう先であり、孤独な情熱の向かう先であり、人生の余白が漂う辺りである。コー
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