ある日のえんばー2/若乱
 
きた。(日本橋0キロまで歩けた)例えば仕事が「そんなふう」であるのなら、僕は歩き続けれるのだ、きっと。「そんなふう」とは限らないとは思うけど。
なぜ歩くことが許される行為なのかといえば、道路は移動する人のための場所だと決まっているから、移動している限り、僕は許され、息を吸えるのだ。僕は免罪符のように歩き続ける。すたすた歩く。足の裏という、わずかな居場所を許されながら。
限界来て、途中岡崎市市場町の津島神社のきれいな軒下で、横になって休憩。見上げると、屋根の裏の板が、ところどころ新しい板に貼り替わっていたりして、すごくちゃんと管理されている神社なんだなぁ、と思う。多分東海道巡りしている歩きや自転車の人の休憩所によくなっているのかも、とか思う、小一時間休憩。起きる、体操して出発、日、傾いてくる、歩く。
(つづく)
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