盆栽理論家(仮)としての生きるということ/足立らどみ
何故だか比較的若いころから盆栽が好きです。
部屋や庭にある盆栽を愛でる気持ちは、
盆栽理論家(仮)でないとわからないかもしれません。
愛好家とか好事家では伝わりません。
普段は眺めるだけだけど
芽摘み鋏で少し整えるときは
生物とは何か生きるとは何かと思うこともあり
これも盆栽理論家(仮)といわれる由縁なのだなと思うわけです。
盆栽が趣味なんですかといわれると、生活の一部みたいな気持ちです。
犬や猫を飼うのが趣味なんですかと謂れて少し違う気持ちと同じです。
盆栽が好きな理由は樹木に対する不思議な気持ちが根にあります。
樹木の構成の大半は死んでいるわけですが、中心のあかみ
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