井戸を覗き込む/こたきひろし
長い年月の間にすっかり干上がってしまった井戸からは、水は匂いさえしなくなっていた。
地下水に頼る生活はもうできない。水を汲み上げる手動ポンプは役に立たなくなってしまった。
やむを得ず家に自治体からの水道が引かれたのは、彼が故郷の実家を出て上京し働きだしてから一年位だったと思う。
東京で生活を始めて最初に強く感じたのはあまりの水の不味さだった。
田舎育ちの彼にはとても受け入れ難い不味さだったがその内に否応なしに慣れてしまった。
それでも、無性に田舎の実家の台所あった井戸の水を飲みたくなって涙が出る夜があった。そんな夜は郷里を思い出す感傷と強く繋がって切ない感情に駆り立てられた。
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