平和のために自分たちに出来ることを"考える"/少年(しょーや)
 
というものだった。
それが判明した直後、従業終了のチャイムが鳴った。


それ以降、千羽鶴や手紙を用意するための時間は設けられなかった。


先生に催促しても「また今度な」と面倒くさそうに言われるだけだった。
小学生の子供に被爆者の居場所や連絡先なんて分かるはずもなく、
結局何も出来ずじまいで小学校を卒業した。

言葉通り
文字通り

「平和のために自分たちに出来ることを"考える"」だけ、で
あの授業は終わってしまった。


それ以来、大人が信じられなくなった。


考えることは第一歩ではあるけど、
その考えを元に動かないと何も変わら
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