坂井信夫『黄泉へのモノローグ』について/葉leaf
 
であった。では認識論的側面と存在論的側面との接合はどのようになっているか。定型による認識の更新、定型による存在のインフレーション、存在と認識に先後関係はなく、存在と認識は循環するのみである。認識が更新されることによるさらなる存在のインフレーション、存在が聖なるものに中心化されることによる認識の秩序化。様々に解釈されうるだろう。
 坂井がなぜこのような定型を取り、なぜ黄泉を志向したのかその真意は分からない。だが、この定型や構造は以上のような詩的効果を生み出すのであり、それは十分成功している。

戻る   Point(0)