トイレの落書きとか共感の否定に関する話/腰国改修
 
のではないかと。何も共感されるものが全てではなく、時には共感を否定して詩を書いてみる自由はあるのではないだろうか。

一寸の虫に五分ならば、便所の落書きにはいかほどの魂があるのか?暇な時間にまた考えてみようか。嗚呼、今もそう言えば暇だった。

加えて、暴力は自由だ。自由は暴力だ。暴力こそ自由だ。自由こそ暴力だ。さあ、服を脱げ、さあ、排泄を、接吻を。俺を加えろ。俺のを加えろ。俺も加えて運んでくれ。

あ、言われなくてもやってる?
あ、そう。

あんた自由だわ。

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