いにしえの夜の復権‐‐蜂飼耳『顔をあらう水』/kikikirin75
 
う前に/軽くなる 【28、29頁「ゆえに、そこにそらの」】

言語はそれ自体外部があって初めて存在するにも関わらず、外部を侵食する。それは「はい」という語に「いいえ(非・はい)」が本質的に内在してしまうことと同じだ。昼の明るさは夜の昏さを吸い上げ続ける。このことと「日本」と関わり合いながら顔を出す「戦争」はきっと無関係ではないだろう。そのとき詩人は、夜の領分へともの自体を返すという態度を選択する。繰り返すが、それは決して、単なる夜の称揚ではない。顔を洗うという所作は、もう一度正しく昼を迎えるために必要なひとつの儀式だ。

<この文章は2017年3月25日にprivate box(https://kikikirin75.tumblr.com/)に投稿したものです>
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