琵琶の音色/水菜
とは、既に生ではない
死でもない
人の身体が、死を迎えた時、人の身体は一分一秒も止まってはいない
たちまちに、動きを止めていた身体の中の微生物が、周りのバクテリアが、周りの生き物たちが、別ベクトルの動きのなか、今度は、土へと自然へと人の身体を分解し、有機物から、塵に変えていく
それは不思議な音色だ
そう、なにを怯えているのだと、そう諭されているかのようだ
私たちは、変化し続ける時の中で、生へのベクトルでも死へのベクトルへも、進むしかなく
それらは、自然界のサイクルの中での、自然界の殆どのものと同じ、有機物としてのちいさな決まりごとに過ぎない
どちらにせよ、時は止まらない
一瞬は、永遠と同じという事実がそこに在るのみ
私たちの意識上では、一瞬も永遠も、塵と同じ
認識できぬ領域に存在する認識に過ぎない
私たちは、塵に同じ
そして、精神は、そこに在り、そこに無いものでも在るから
この世は無情であるけれども
それで自然なのだ
在るという事実は、純粋無垢に、在ることでしか有り得ない
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