とけていく/葉leaf
 
新しい赴任地で年末を迎えた。慌ただしく時は流れ、振り返れば日々の業務で毎日何かを学習していった。昨年度、私はトラブルで外傷を得たが、その外傷もいつの間にか癒えてしまい、ただ日々の忙しさの中に何もかもとけていってしまいそうだった。
外傷がとけていくに従い、私の過敏なまでの感受性までもが何やら鋭さを失ってしまった。感受性とはその人の傷つきやすさそのものなのかもしれなくて、このようにもはや大抵のことが許容できるようになり傷つかなくなると、自然と感受性もとけてしまうのかもしれなかった。
光は以前の明るさを失い、闇は以前の深さを失い、私の傷が癒えていくと同時に、風景も世界もどんどん平板化していった。結局世界とは私と相関していて、私がとけていくに従い世界もとけていってどうでもよくなってしまうのだ。健康になるということは、世界が深さを失うということと同義なのかもしれない。
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