最近見た愛しいもの/吉岡ペペロ
 
運慶作とほぼ確定されている鎌倉期の大日如来像は、ころっとしていて小さくて、剛健でありながら赤子のような柔らかさが匂うようだった。
目に見えない宇宙の真理を、エネルギーを、擬人化ならぬ擬仏化したら、こんなふうになるのだ。
わたしには最近見た愛しいものに、それが思えた。
運慶もそうだったのかも知れない。愛しくても失った、もしくは会うことが敵わなかったものを、もう目には見えないものをまっすぐに祈れば、このような擬仏化に至るのかも知れない。







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