石田瑞穂詩集『耳の笹舟』について/葉leaf
 
。言葉で列挙された音たちは複数存在することが可能であるのが原則である。それがたった一つしか存在しないと言われるとき、そこで念頭に挙げられているのは根源的な感覚的なものそのものなのである。身体と世界とが融合している次元において、すべての感覚は歴史的であり、一回限りのものであるからだ。
 そしてさらに引用部では、その唯一の音が「世界そのもの」であると綴っている。ここでは、唯一のものに世界の唯一性が宿るといった数的な発想もあるのかもしれない。だが、ここで働いている意識はむしろ、その唯一の感覚的なものが、世界の根源として世界自体を基礎づける根拠になっているという意識ではないだろうか。

三日は剃って
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