彷徨いの淵/高林 光
 
は生きてきたような気がする
傍らには開かれたノート
胸ポケットには二本のペン

ノートに書き留められた言葉が
その時々の偽りない気持ちだったとしても
いま、見返してみて
その時と同じ気持ちになれるわけではない
意味のあることとないことの境界はいつも曖昧で
自分本位の不確かな根拠に押されるようにして僕は
その淵を行ったり来たりしている
言葉が言葉以上の意味を持たないとすれば、きっと
その境界はもっと解りやすくなるはずで
ノートの言葉も、女との他愛もないおしゃべりも
そしてこのカフェも
僕のものではなくなってしまう

「生きている糧」という言葉をなにげないやり取りで使うと女は
そんな大げさな、と小さく笑い出した
確かに女との関係に米の量が入り込む余地はない
すぐにお腹が空くくせに
決まって食べ物を残す女
ふたり
この淵を彷徨うようにして歩く
言葉だけを費やして流れていく時間を
ささやかな幸せに昇華させながら

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