われらの時代/葉leaf
なければならない。
次に、上下左右との感情的なつながりが希薄になった現代、私たちは否応なく現実に直面せざるを得なくなったということ。私たちのことは原理的に誰も救ってはくれない。そうすると、他人の助力によって現実にフィルターがかけられるということがなくなって、現実がじかに私たちを襲うようになってくる。そして、私たちは現実の波をうまく乗りこなすことなくしては生きていけないのである。現実は極めて複雑で困難であり、現実を打開するためにはたえざる向上が必要となる。その現実と格闘する根拠となる強力な個人が必要とされてきている。そこで、個人の自律性が強く要求されてくるのである。
何の疑いもなく自己を緩やかに肯定できる人間であるならば問題は少ない。だが、多くの人たちが自らの存在の根拠を見失っていく中、個人主義を意識的に内面化する必要がある。それは、個人主義を攻めの姿勢で用いていく方向性であり、現実と自律して戦っていく意思表明である。文学もまたそのような色彩をまとっていくと私は考える。つまり、複雑な現実との困難な戦いを倦むことなく遂行する自律した人間の文学が生まれていくのではないか。
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