夢のなかに生きる/天才詩人
 
年代の、雨上がりの東京郊外へ戻る。その場所は、文学的な意味での「武蔵野」とは少し違っていた。この地域へ、都心から伸びるコミューター鉄道路線は戦後、5番目に開業したが、新興の私鉄線のなかでは利用者がいちばんすくなく、1970年代までは1時間に4本ほどの運行しかなく、通勤客を見込んだ快速電車も朝晩にそれぞれ2、3本ずつ通るにすぎなかった。1980年代、東西冷戦末期のバブル景気に乗り、この地区の高台に瀟洒な住宅地や高級マンションが建てられ、外国人が多く住むことになるなど、誰が想像しただろう。僕の生がその土地に書き込まれていたころは、そこは、まだ空無だった。住宅はすべて建売の看板が架かっていたし、住む人は
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