空間的記憶について/天才詩人
 
ば仕方ないかもしれません。

二つ目はもっと個人的な話で、僕は、映画を観たり本を読むのは好きなのですが、残念ながら、読んだ作品や観た映画は、そのときどんなに没頭しても、内容はすぐに忘れてしまいます。そういう理由から、映画の話題になって「○○観た?」と聞かれるといつも困ります。その反面、自分でもよく覚えているなあと思うのが、本を読んだり映画を観たとき、自分がどんな場所に、誰といて何をしていたか、ということです。つねに思うことですが、人間の記憶というものはけっきょく、空間的なものに根ざしている。つまり、ある場所や場面で読書をしたり、映画を鑑賞することは、その物理的な場所や感覚を喪失・忘却することではなく、より鮮烈に体験することである。

どこかで前にも言った気がしますが、僕が作品の良否を判断する拠り所のひとつとして、この記憶の「鮮烈さ」という問題意識があります。そして、澤あづささんの「ひふみよ」は、彼女の前作や前々作から一転して、その基準をクリアしてあまりある出来ではないかと思うのです。
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