八柳李花『Clich?』について/kaz.
では音楽への憎しみはあるはずである。私はこの音楽への憎しみを、中島義道の影響と考えているが――そんなことはどうでもいい。彼女が指導教官を変えざるを得なかったという自らの虐げられた経緯が、ここの詩篇には緩やかなカーブを描くような表現で誤魔化されていて、そういう意味では彼女はあくまで詩人であって、哲学者になれなかった存在なのかもしれない。もっとも彼女が詩壇から離れてから、私は彼女の名前を小笠原鳥類詩集で再び目にすることになるのだが。
哲学者は真実を語らなくてはならない。しかし、彼女は真実を現象的に語ろうとするのではなく、存在の根底を揺さぶる言語で語ろうとするのである。その意味ではサルトルをはじめとす
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