語る資格/葉leaf
 
実にうまく近接できない。表現というものが真実を語るのだったら、表現すべきなのはあくまで深刻な当事者のみである、私はそう考えていたのだったが、そこに私の勘違いがあったと思う。
詩はフィクションであって一向にかまわない。なにも震災の実体験を語るノンフィクションである必要はないのである。深刻な体験をしていなくて真実に迫れていない人間であっても、体験とは別の次元から収集した様々な情報をもとに、フィクションとして震災を題材にできる。そのことに何ら問題はないのではないか。逆に言えば、震災の当事者でないからこそ語れる真実というものもあるのだ。私は惨劇の当事者であるという地位を特権化してしまっていた。だが、詩の
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