のどぼとけ×時間×エクスペリメント/高橋良幸
ものだと思う。伝達可能な言葉と、伝達不可能な言葉の境界にあるものだ。朗読は声と体とによって、伝達不可能な部分の情報量を増やすことができるかもしれない。しかしそこには「一次元の時間の進行の中で」という制約がつく。詩情の展開が、時計が刻む時間の関数ではないのだとしたら、たちどまり、ふりかえり、視野の外で他の連を盗み見しながら行っていくものだとしたら、そもそも声があって初めて成り立つ詩など書けるのだろうか、歌に近づかないようにして。そう考えていると、朗読というものは詩に不利な面が多い気がしてくる。ノイズだけだったり、リズムのなかったりする音楽には心を預けられるのに、朗読はそういかない時がままある。俺のよ
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