ランチの時間/ホロウ・シカエルボク
 
ている、長針と短針と秒針の便宜的な定義、それは時とはなんの関係もないものだ、とっくに判っているのに未だに覗き込んでしまう、時計、時計だ、時計は何処にある、何処に置いた?疑問でしか進行しない、あやふやな固形物に弄ばれているような自室、連動する無数のギアが盤上に表示するものは結局認識出来ない、それは創作物のように忘れられてしまう…指針を無くしてしまうとそこにはまた、曖昧で鋭利な漠然とした概念だけがある、コーンポタージュ・スープの海の中でガラスの破片を踏むような概念、五感は時間のようにただ設えられた機能としてそこにあるだけの気の利いた装飾物だ、感覚が知覚する真実など所詮その程度のものだ―輪郭のないものを
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