詩人の死/葉leaf
 
上にあるものだった。彼は自らの詩に決着をつけないまま亡くなった。その未決であるという事実、これがまず重要だと思う。
 だが、彼が未決であるのはあくまでも彼の人生の次元の話のことである。彼について語る私たちの語りの次元からすれば、彼はもはやその死によって確定してしまっているのだ。例えば生きて実作を続けている詩人について、私たちは語りづらさを感じる。それはその詩人の詩業が確定していないからである。だが、伊達について語るとき、私たちは伊達の詩業を確定したものとして扱うことができる。この未決であるが確定しているということがまず重要な点であろう。
 だが未決であるが確定しているというのは、どんな夭折した
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