◎自分をいつくしむとは??身体と、ことばの育みについて         /石川和広
 
あって、少し見苦しいなと感じられないこともないと思う。
それに対する、自己/他者に対する、遇しかたも、様々でしょう。
しかし、まずは、出現していないとはいえ、「原=わたし」との会話、媒介なしに、私の発語はないので、一見、他者への応答責任を果たしていると見える、真面目な「大人」の発語も、それが例え、冗句のかたちをとってさえ、やせがまんにしか見えない。そして、死んだ「原=わたし」の蘇りの亡霊めいた姿に、驚くことになるのです。
それは、他者の発言に、亡霊を認め、お祓い、排除する姿勢につながりかねませんから、自戒を持って、注意したいものですな。
 ただ、注意ばっかりも、疲れるし、言葉の命が枯れてい
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