精神/葉leaf
行動を起こすために自らをあふれ出し、自らを飾っていかなければならない。その幾重にも絡まり合った余剰や装飾を水のように解きほぐしてしまうと、そこにはむき出しの私がいた。限りなく疲労した私は、限りなくむき出しで、限りなく純粋な私だった。そしてそれは一個の紛れもない精神だった。
日々の公的な空間での仕事は、私をひたすら相対化すると同時に特殊化する。それに対して、疲労して温泉に体を沈めている私は、一個の明澄な精神として絶対化され普遍化されていた。日々の暮らしの中で、人間は様々な夾雑物に妨げられ歴史とともに運動できなくなっている。だが、疲労の時空では、人間は真空に浮かびながら歴史とじかに接し、歴史を駆動し歴史と共に歩む一個の精神となる。
私は永遠の闇の底で歴史の原動力となる純粋な一個の主体であり、もはや私の存在には幾分の過不足もなかった。私は疲労の極限において、自らの存在が力を持ち開かれていくのを感じていた。温泉宿の雪をかぶった中庭の風景を眺めながら、私は一個の世界精神だった。
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