花洩について/kaz.
為りて
その墓のどれかにぼくがいる
決戦前夜の死に体
触れた棘から薔薇になれ
あっち向いて敬礼
きみの血の色をどうしたって知りたい
アイワズアイ
宵が醒めたら逢いにいらして}
「誰かの私」とは何だろうか。ここには先ほど混同された人称が当てはまると考えられる。つまり最初から計算して、あるいは偶然にできたのかもしれないが何らかの意図があって人称のずらしが起こっていたのである。そう、それは「アイワズアイ」つまり「私は私であった」(今はそうではない)という状態である。
このように読んでいくと、この詩は錯乱した不統一な意識の中で書かれたというよりは、人称の不統一という実験的な意図を世界
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