「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
乙武氏は、スポーツライターとして本も書いている。二人ともライターであり、観察者だ。が、「野球」はbaseを頭とし、これは塁、基地、とも訳せる。「野球」は、米からの輸入であり、日本は明治以来、長い間アメリカの基地のある地、あるいは、極東の塁=踏み台をなしている。それを「野=フィールド」とも取れる訳し方は「この踏み台、基地=外を内部に含んでいる」日本という「野=フィールド」を意識している。というのは、彼が漱石と並ぶ開化への抵抗者だったことでも、類推できる。独自の身体からの「不遇」への感度、日本に生まれて来た者の。
乙武氏はワールドカップサッカーについて、かなり書いているが、そこには「世界=ヨーロッパ
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