「われわれは、愛と平等を否定」しうるか?−「障害」と「言葉」の関係を繋ぎなおすための考察/石川和広
 
人や彼自身が削ったかもしれない「不遇」の感覚を、何かで誤魔化していきはしないかと思ったりしてしまう。(まあ、男前なら、それでいいという考えもあるが、かなりのチャンスと覚悟が試されよう)
これが、杞憂だといいのだが…逆に、私は、お節介ながら、訪れるかもしれない危機から、彼の失ったものの豊かさと苦を見出して欲しいと願うのである。
それを前にして、つまり、自己の生きる条件のニュアンスを噛みしめて、書き手として、成長していただきたい。
私の好きな、急逝したスポーツライター山際淳二のように。

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