歌はもう歌わないと決めたけど/夏美かをる
 
れた君の打ち震える声が
乾いた僕の皮膚を突き破り
やがて六十兆の細胞の隅々にまで染み渡って
僕の血を躍らせ、
僕の魂を揺さぶり、
知らぬ間に僕の唇を突き動かす

僕が何不自由なく学校生活を送り
呑気にクラリネットを吹いていた間にも
君の自由は容赦なく奪われていったのだね
君の愛するお父さんとお母さんから
その奇跡の“歌声”と共に
忌々しい病気をも授かってしまった君の
胸の奥底で渦巻いている鈍色の湧水を
僕には掬い取ることができない
その他大勢の観客の一人であることを享受してきた僕から
遥か壇上の神聖な光の中にある君までの距離は
余りにも遠くて 僕は君に寄り添えない
だからせめて今は
君と一緒に歌いたいと思った
君、一緒に歌わせてくれないか?

"歌声"は持っていないけど、
歌はもう二度と歌わないと決めたけど
僕は歌っていた
君と共に君の歌を歌っていた
目の前で今まさに美しく燃え立つ君の命を
僕だけのやり方で そっと祝福するために 
僕はその歌を歌っていた
君と一緒に歌っていた
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