悟り/葉leaf
 
り上げた。自らの精神と世界とが何らかの均衡に達した刹那、感覚的創造が閃き、私の身体は快楽の毒を大いに摂取するのだった。

悟りとは何であろうか。それが世界の真理の把握におけるエクスタシーであるならば、私は決して悟りに辿り着けない。だが、私は世界の真理とすれ違うだけで、あるいは世界の真理から流れ出てくる具体的内容を感受するだけで、十分なエクスタシーを感じることができる。神がいなくとも、真理が存在しなくとも、俗世の雑事の中に悟りに代替するものがある。私は進んで俗世に呑まれていく。そこで得られる無数の閃きは決して悟りに劣らないと確信している。

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