紙折る手/あおい満月
 
切り絵の世界にどんどん魅了されたわたしは、小学校に入ってもノートや要らない紙を折っては切り絵を楽しんだ。ついた渾名は『紙切りおばさん』である。
 ここで、ふと、現在に戻って、詩人で彫刻家の高村光太郎の妻・長沼智恵子を想ってみる。智恵子は生前、重度の統合失調症に苦しみながらも、切り絵を描いていた。智恵子が切って描いた切り絵を写真で見たことがある。殆どが鳥やそういった空にはばたいていくものがモチーフだった記憶があるが、その才は素晴らしかった。智恵子の心を投影した作品だった。智恵子は、わたしの勝手な推測だが、同じ彫刻家を目指していた光太郎への憧れと、同時に巻き起こる激しい嫉妬を、切り絵という形にしたのかもしれない。自分の精神が死に至る間際まで、芸術家であろうとした智恵子にわたしは深い感銘を受けた。今、わたしの右手は、お湯に浸けると直ぐに皺になる。時給の安い臨時職員(パートタイマー)だが、35になる年にやっと適職に辿り着けた安堵で今はほっとしている。一緒に暮らす母親はそんなわたしを罵倒しながら、バッカスの如く夜酒を浴びているが。
戻る   Point(2)