雨 二篇/山人
 
く行われるのであろうか。
 かくて日照は、あらゆる水気を乾かして、空へとたくし上げ、多くの結露を蓄えてきたのであろう。
 私たちの雨具は、形状は「それ」であるが、すでに水気をさえぎる機能は失われ、むしろ水を吸収することに没頭している。つまり私たちは雨に飽和され、特にあらためて生体であると主張するまでもなく、二体の置物が雨に濡れそぼっているに過ぎなかった。さらに、アブについても言えるのだが、アブがまとわりついているのではなく、アブをまとわりつかせている、侍らせているとでも言おうか、私たちはとにかくそんな風体だった。
 受け入れ難い、現実の断片、それにもたれるように重力に逆らうこともなく、受け入
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