仏の泣いた日/りゅうさん
 
奈良の大仏が涙を流したのは

今のような暑い夏の日

むわっと熱された空気が水蒸気となって

仏の涙袋にたまり

雫となってしたたり落ちたのだ

そんな風に思っていた

近代合理主義の精神であった昔の私は

けれど今

私も少なからず奇跡を目の当たりにしたのだから

考えを変えている

ガネーシャ像は乳を出す

マリア像は涙を流す

そんなこともあるだろう

精神の奔流が物質の岸辺に打ち付け

岸壁を削り流れ出すのだ

そりゃ泣きますわ!

世界のこんな惨状を見たら

それらの像は依代の役割を果たしていたとみてもいい

人の代わりに泣いたのだ

というのはリアリストが神秘に直面したとしたら

その体験を切り捨てるのはむしろ現実的ではない

という一点において

私は神秘家になったのだ



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