しょうがない日本政府の遺伝子/イオン
 
島県会津で生まれ育った私には
戊辰戦争を終わらすために行った
会津への見せしめも「しょうがない」と
言っているように聞こえた

一八六八年秋に会津戦争は終決した
もし会津側が勝利していたら
日本はこの時点で
東西に国家分裂していたであろう

明治新政府は
武士達への見せしめだと
会津藩戦死者三千人の埋葬を禁じ
殺されて倒れたままの死体を
会津城下に累々と野ざらしにした
国家統一へ反抗勢力を抑えるためには
「しょうがない」だったのかもしれない

しかし、明治新政府は
鳥や獣に食い散らかされる死体を
見かねて埋葬した市民を捕らえて投獄し
せっかく埋葬した死体を
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