独白/dopp
 
沈黙に対して自らの慎みの無さを恥じたのです。僕は皮肉にも彼女に対して敗北を宣言しました。それほどまでに自己の矜持を愛したのです。そして同時に書き溜めてきた全てのイメージを消し去りました。僕はこの事を後悔しています。以降僕にとって最大級の関心事は、いかに自己の視点を消滅させるかという事に尽きるようになりました。この事によって僕は死への思いを新たにしたのです。何故なら、僕一人が死んだ所で僕の視点が消える訳ではない、言い換えるなら、「他」が消えなければ「自」が消える事はなく、「自」が消えなければ「他」が消える事はないという堂々巡りと正面から向き合う事を強いられた訳です。衆生済度という言い古された主題が僕の前に立ち塞がるのです。その滑稽に私は屈したくありませんでした。あらゆる思考がそこに帰着するという事を認めてしまえば、私はそれを仏教の問題としてしか扱えなくなってしまうではありませんか?思うにこの範疇化こそが問題を解決する事を阻むのです。私は退屈を感じ始めています。
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