流転/MOJO
 
気の崩壊が原因であった。このダブルパンチで、ツアーは激減した。日当制の雇用だった私は、またしても経済が成り立たなくなってしまったのである。
 
 私は父親の縁故で、立ち上がったばかりの建築請負の会社に世話になることになった。五人ばかりの小世帯で、『制作金物』を請け負う会社だった。制作金物とは、例えば、エントランスに架かる庇や、階段の手摺で、量産品でないものを指す。社長は有能な人で、業界ではシェアトップの企業で、筆頭専務まで登りつめたが、出世レースの最終コーナーで躓き、自分で起業せざるをえなかったという。だから、会社の人数は少なくても商いそのものはでかい。
 そんな中、私の職務は『現場代理人』
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