疋田龍乃介詩集『歯車VS丙午』について/葉leaf
 
に応答せずとも、まずは自己への責任へと応答することが、間接的に読者への責任に対する応答となっているのである。
 言葉というものは厄介なものである。社会関係において人間は責任を果たすために他者に対して言葉を発しなければならない。そしてその言葉はコミュニケーションに成功しなければならない。分かり易く、無駄がなく、相手の要望に応えるものでなければならない。そしてもちろん、内容において不適切なものであってはならない。支配的言説はその内容だけでなく伝達の仕方も規定するのである。
 疋田の詩の暴力は、単に支配的言説に異を唱えるという直接的なものではない。そのような直接的な暴力に対して支配的言説は敏感であり
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