朦朧たる旋律、そして簡略化された天井の構図/ホロウ・シカエルボク
 
りにも無責任だった、無責任な子供に無責任な夢を見せるための代物だった、とはいえ、バッドエンドが好きだったかというとそうでもなかった、いってみれば、物語的にきちんと完結させるようなやり方が好きではなかったのだ―もちろん、そういったものに食いつく連中がたくさん居ることもよく判ってはいるけれど―物語のリアリティというのはある側面ではハッピーだし、ある側面ではバッドだ、というところなのだ、解体出来て、それを構成する部品をひとつひとつ調べてみたくなるような、そんなものがリアリティと呼べるのだと思う、写真に例えてみるならこうだ、そこに在るものを写そうとした写真と、そこにないものを写そうとした写真には明らかな違いがあるだろう?


ただ座椅子に背をもたせて脚を投げ出し、わずかに上を向いて壁と天井の継目を眺めている、時として世界は愕然とするくらい単調に出来ているし、そんなものの恩恵を受けることもある―そんな時俺は、満面の笑みを浮かべて舌打ちをし、唾を吐くのだ、シンプルはカオスの結果としてある、そのことを俺は知っているからだ。






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