心理学にフロイト主義なるものがあるのか?フロイト評論?/銀馬車でこい
う点について、評価できるだろう。しかしそれについても、フロイトの批判主義が原点であるのが含むところであるだろう。それが、日常の世界であることが更なる現実の重みであるに過ぎない。これは「性欲」についての意味信用を巡っての話であるわけだが、実に、性欲という価値判断基準についての信用の使用、これについてはどの時代でも、まさにそれは、健康の一部である。宮台真司においては、まったくもって、性欲の意味信用については、フロイトにとって就けたものだったわけだが、しかしながら、すでに亡くなったフロイトの性欲と自分を同一視するような発想は、甘いのではないかと言及せざるをえない。フロイトの著作の参照性においての言質においては、批判主義を原点とするべき常識は、あってしかるべきだろう。
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