心理学にフロイト主義なるものがあるのか?フロイト評論?/銀馬車でこい
いていたのではなかろうか。その辺についても,批判主義的な分析が成り立つ可能性が高い。
一方のジグムント・フロイトは、多数の批判を認めていないほうであったと云う。これについては、自分の著作の信用を強く守るためであったに過ぎない。しかし、それについては、当然のように批判を要求する。実に、かなりの批判を跳ね除けただろう。そのための闘いの日々が、精神医学の研究であった。日本においても、実に批判を認めないための多数の事跡に及び、その信用を評価はされていることにはなっているが、明らかに、どのような言論においても、批判を認めるのが、はっきりと民主的だろう。フロイト学においては、批判的言論を善意として、認
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