蓑虫/島中 充
 
妻はゆっくり狂い始めた。階下から甲高い声で私を呼ぶのだ。
「アナタァー」 
また始まる、始まってしまった。

開け放たれた窓から、花冷えの寒気がなだれ込み、投げ出された掃除機の横で、妻は床の上にスフィンクスのように、両手両膝を着いて、目を据え、開かれた昆虫図鑑を一心に睨んでいた。図鑑は私が詩を書くために開いたままほっておいたものだ。
「アタシ、蓑虫じゃないわ。蓑虫なんていや、大嫌い。」
蓑虫の雌は一生を蓑の中で暮らす。雄のように蛾に成ることもなく、蓑の中で雄の蛾を迎い入れ交尾し、産卵し、小さく干からびて、枝にぶら下がっている蓑からポトリと地に落ちて、蓑虫のまま死んでいく。
「あなたの
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