大崎のキンコーズの思い出/番田 
 
危険な状態だった。とにかく仕事が決まるまでは、オークションでしのがなければならない。あまり親とも仲が良くなかったので、頼るわけにもいかないという状況だった。私は家にプリンターが無かったので、キンコーズの制限時間内に、そこで、家から仕込んできた色々なデータを震える手でUSBメモリから移し、素早く印刷しなければならなかったということを懐かしく思い出す。当時はまだ、プリンターの精度も決して高くはなく、値段自体もその当時の私にはとても高かったのだ。しかし、職安の出張所が近くにあったのは救いだった。私はそこから、多くの面接にこぎつけることができた。しかも景気が今ほどは悪くはなかったということが、ピンチだった私の背中を押してくれた。

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