「正論」とかけてポルノととく、そのこころは?/動坂昇
 
ているからには、その「客観的判断」はたいてい単なる欲望のみに基づく妄想にすぎないといえる。
 つまり、いま自称にせよ他称にせよ「正論」と呼ばれるものは、たいてい、事実を無視して自らの欲望だけで構成された妄想を「現実」と呼びならわしながら、そこへ向けて力を使っては他者をねじ伏せることを正当化する主張だ。
 そうした主張を自ら行う人々は、自らの主張が道徳的正義にそぐわないということを自覚しているからには、背徳感を覚えながら、そんなことを公衆の面前で言ってみせても平気でいられる自分の力に高揚感すら抱いているのではないだろうか。
 ならば、「正論」は、ポルノでなければなんだろう?
 事実に反するこ
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