「正論」とかけてポルノととく、そのこころは?/動坂昇
ることを「現実」と言って憚らず自らの力を行使して誰かをねじ伏せることを正当化する主張とそれを欲望する人々は、ポルノとその熱狂者たちそのものではないか。
そういうものがこの世にまったく存在してはならないとは言わない。そうではなくて、そういうものがいま大手を振って公衆の面前を歩いているということは、問題ではないだろうか。
「表現の自由」「思想の自由」「相対主義」、けっこう。
しかし現在の状況では、それらが完全に保証されているのは強者だけだ。ならば、その状況でいわれる「表現の自由」というスローガンは、実際には「強い者が弱い者を無視しながら自分の言い分こそを真実であるかのように偽って自分勝手に広めることができる」ということを意味するのだから、それは「自由」ではなくむしろ専横や独裁と呼ばれるべきだ。
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