『風立ちぬ』をめぐって/動坂昇
 
にとっては素人くさいというよりもむしろ象徴的なのだ。実際、庵野はかつて宮崎から「人物をかけていない」と言われたときに「自分のなかに他人がいないんです」と答えている。
 こう考えるとこの作品は恐ろしい射程をもってくる。まずパトロンに尽くすしか能のない技術者や芸術家の絶対的な弱さに対する常時の批評があり、「セカイ系」文化から目を覚ますことのできない人間に対する臨時の批評がある。
 
 もうひとつ論点がある。それはこの『風立ちぬ』が『紅の豚』と対を成しているということだ。
 そのことは、布団にもぐっている菜穂子が夜中に仕事をしている二郎の横顔を見つめる場面にも見て取れる。この場面は、フィオが夜中
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