六時、現実、寝息/はるな
けて眠る娘と同じように。
現実、を考えれば考えるほど、わたしの正しさは影を薄めていく、遠く、掴みづらいものになっていく。
いつか詩を書かなくなるとすれば、それは悲しいでもなくうれしいでもなく、ただ当然のようになるだけだ、と思ったことがある。悲しいでも、うれしいでもなく、しみこむように忘れていくことが、もういくつあっただろうか。時間は覚えているいくつかのことよりもはるかに膨大な覚えられていない物事によって作られている。わたしは、わたしが覚えていない多くのひとや物事によって作られているし、そのことはわたしの存在を強くしている。
それならば、いま手にとって見ることのできる現実に、どれほどの意味があるかしら、意味のないことばかりだとしたら、それはやっぱり素敵なことではないかしら。そして、ここに眠っている、触れることのできる、娘のかたちを、愛でも現実でもないとしたら、わたしはどういう詩を書けばよいだろう。
戻る 編 削 Point(3)