恋愛詩の在り方/葉leaf
現代詩において恋愛詩は避けられる傾向にある。その一つの理由は、現代詩の不可逆的な洗練の先にある書法が、恋愛を解体する傾向にあるからだろう。素朴過ぎて日常的に発される言葉は詩である必要がない。それは単に話されればいいだけの言葉である。現代詩は、詩であり続けるために、生活であれ幻想であれ、独特の分析や認識や飛躍を織り込ませることにより手法を洗練させてきたのである。だから、恋愛にありがちな単純な発語というものは、現代詩においては分析され解体され飛躍的に表現され、純粋な恋愛を語るものとしての原形をとどめなくなってしまうのだと思う。例えば、もとにあるものが単純な「あなたが好きだ」であっても、それを
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)